京都でランニングトレーナー、ピラティストレーナーとして活動します、吉田里紗です🏃♀️🏃♀️
走り始めて27年目。原点回帰🌐
中学入学🏫
吹奏楽部を諦め、、陸上競技部を選択。
この当時の陸上競技部は、短距離も長距離もレベルが高く、厳しい環境に。
まだ、仮入部期間は種目も決めず1年はほぼ練習は同じ内容。
そして、忘れもしない5月。
授業でバレーボールをしていた時に。
相手チームの子がサーブミス。
ミスしたボールを全力疾走で追いかける。。
『ドーン!!』
前にあった鉄棒にぶつかって、おでこから出血。
救急車で搬送。
10針以上縫う。
ガーゼをして陸上部を見学。
チーン😂
練習の見学する日が続く。
そして回復後、少しまだそこそこ走れた短距離。
低学年リレーのメンバー候補に入り、バトンパス練習。
今でもパスの感じはほんの少し覚えている。
何日間?何週間か経ち、、
種目を決めないといけなくて。。
長距離を選択。
その日からリレーメンバーを外され、長距離に専念。
キツイ練習が始まる。
当時、京都市で活躍する実力がある先輩が3年生1人、2年生3人。そして、私より少し速いかもな同級生1人。
あと、他に10人くらいメンバーが。
先輩は当時ダンベルを持って練習。
全く追いつけなくて。
180mのホントにマルみたいなグランドのトラックを5周と100mで1000m。この練習を毎回必死に先輩の姿を見て走る。
少しずつ近づいてきて。重りは持たずやけれど、秋近くには抜けるように。
秋には、、市内の駅伝大会が‼︎
メンバーから見て入れるとしたら5人中4人はほぼ決まり。1枠を実質1年2人で争うことに。
当時もう1人の1年生は貧血気味でもあり、最終選考を勝ち取り駅伝メンバーに。
市内駅伝当日。私は3区担当。
2位で襷をもらい、、1位へ。
そのままチームは優勝!!
『光る一年生の力走』
と、新聞に小さく載る。
中学の何もなくていちばん良い思い出。笑
コメント