京都でランニングトレーナー、ピラティストレーナーとして活動します、吉田里紗です🏃♀️🏃♀️
走り始めて27年目。原点回帰🌐
2年になると、学校にも慣れてきて、まじめを演じるのが得意な私が少し調子乗り始める。クラブ内では中心選手となっていくが、後輩も入ってきて根っからの負けず嫌いを発揮。
一瞬でも抜かれたくない!!笑
抜かれない方法を必死に考えながら練習に打ち込む🏃♀️🏃♀️
男子の先輩にも憧れ始めて、速くなりたいのか好意を持って気になるからだけなのか、、
実際には好きな先輩がいたような。。
必死に背中を追いかけてチカラをつけていく。この時には男子グループに入って本数を調整しながら練習を積み重ねる。
また府レベルでも少しかすり始めるが、まだまだ上には上がいて、同い年で抜きん出て速くなっていく子が増えてくる。それでも選抜の合宿などには参加出来るレベルだったので、学校を代表して参加を重ねる。
3年生が引退すると中長距離のパートリーダーになる。
後々に気づいたが、当時の自分はダラダラしてたり走力があまりない人を切り捨てるようなキツさがたまに出て、怖い存在というか周りにとっては(恐らく)うっとうしい存在となる。
そんな3年の時に、長距離が強い学校から顧問として走れる熱血教師が赴任してくる。
よくあるやつが私の身にも振り返る。。
今まで信頼を置いていた顧問は短距離パート中心となり、その先生の手前見てもらえなくなる。
ショックで一時やる気をなくすが、速くなりたい気持ちはあるので気持ちを入れ替えて、なんとか頑張っていく。
更にやり切るつもりで、必死にあと1年!!と3年がスタート。
練習メニューは一気に変わり、他校との合同練習も増加。また、走行距離が一気に増え、補強トレーニングも倍増。
はじめは戸惑いながらも強くなる為に練習を頑張る。
が、ある程度気に入られてきた私は要領良く練習をこなしたり、行動する。
後輩に抜かれそうになると、腰に手を当てて痛いフリしてちょこちょこ練習を途中で辞めたりする。
ちなみに腰痛はホントにあり、小学生の頃から鍼灸治療院にお世話になっている。
が、調子良い時は順調で練習相手は他校の子に引っ張ってもらったり、男子チームでも前よりしっかり練習するように。
中学生なら目指したい、全中には及ばず公式の記録としては1500mは確か5分1秒07止まり。
4分台にはいけず。。
今でもいけたチャンスはあっただろーと、しみじみ思う😂
あれよあれよと言う間に、3年も引退時期に。引き続き練習を続け、当時同じレベルくらいだった友達と同じ高校に進学することにする。自分たちで強くする為に、と。私立高校からの勧誘と、公立高校の選択などで迷うが、いろいろ事情もあり決定。
このころ、まだ頭が冴えてた私は推薦入学でラクラク進路決定。
と、同時に陸上競技とまだ続けていたピアノを併用するのが難しく、泣きながらレッスンを辞めることを決める。
ホントに悲しかったなー。
卒業までは栄養を本でも勉強し、栄養フルコース型というのが当時流行っていて、その食事を取るようにして高校での活躍に備える。
練習も空き時間が増え、自主練なども熱心に行うなか。。
この時期に他校の先生に言われたある一言で大きく事態が変わる。
『○○(私)、ちょっと太ってきたんちゃうか?』
壮絶な高校時代スタート。
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