京都でランニングトレーナー、ピラティストレーナーとして活動します、吉田里紗です🏃♀️🏃♀️
走り始めて27年目。原点回帰🌐
何気ない言葉からの狂い。
この時の私は、痩せていることにいちばんの嬉しさを感じる。
当時のあだなの一つは、セツコ。
火垂るの墓のセツコ。
やがて、痩せているから走れるという段階から、いろいろと崩れていく。
まずは、、
疲労骨折。
これは、痩せていなくても体重が同じ所にかかるが故に練習量によっても影響が出るもの。
私が診断されたのは
『恥骨疲労骨折』
伸脚が難しく、自転車のサドルに座るのにも一苦労。
今から思えば、こんな所疲労骨折する??と。
やがて貧血に。
そりゃもちろんなるわな
身体が軽くて走れてたものが、全く走れなくなる。
記録会の3000mで当時のベストタイムから2分遅くゴールし、トラックにスパイクを投げつけて軽い暴言を吐いたのを良く覚えている。
この頃から、血液検査で数値が急低下していたフェリチンを摂取し始める。1ケース5,000円のフェリチンを定期的に購入。
鉄結合性タンパク質であるフェリチン。鉄不足と鉄過剰を抑える役割を持っているもの。
これと、鉄剤の粉を処方して貰い毎日摂取開始。
のちのちにも出てくるが、一時期鉄剤の注射の話が話題になった。
大人や医師が止めるべき、というような話が出ていたが、その状況下にいる人間は、なんとかその自体を払拭したくて、少しでも状態が良くなるようにと必死にもがきながら日々を過ごしてきたので、経験をしてないのにがやがや言わないで欲しい、と本気で思う。
そして、高校で当時いち早く導入していたメンタルトレーニング。
本当は半信半疑だったけど。。
今だったら信じてやるのになー
メンタルトレーナーにメインに担当して貰うことになる。
メンタルトレーニングがメインになる私は、取り敢えず回復させようと先生たちが必死。
走れないから体重が戻るという恐怖を感じながらも、走れるようになりたいという気持ちが少し上回り、なんとか先生方の言うことを聞く。
が、40kg台に戻るのがイヤで書いた当時のノート📓
長距離のメインである駅伝が近づき、少しずつ調子を取り戻し
『セツコ温存作戦』
が始まる。
この時のメインである京都府予選で成績を残す為に。
40kg台に戻ると、疲労骨折や貧血の具合も上々に。
高校のピークを迎えていく私は、3000mでベストを更新し始める。
調子が一気に上がってくる。
やがて、、43kgに戻って本番11月。
京都府予選。
1区6kmを担当。
ついに、今振り返っても凄い感覚の走りを体験する。
自分も周りもびっくりな。
同期と話してもあれはすごかったなーという会心の走り。
高校生活のピーク!
自分史上最高!
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